第9回研究会の開催(2022年3月26日)

 第9回 ODA研究会は、3月26日(土)に開催されました。今回の研究会は2部の内容に構成されます。第一部では、小林誉明先生から「援助政策とは何か?」という問いをめぐってご報告いただきました。第2部では「英語にしにくい日本の開発概念」をテーマとして、近江加奈子さんのご報告「内発的発展」及び松原直輝さんのご報告「現場主義」がありました。以下では、この3つの報告の内容を紹介させていただきます。


【小林誉明先生のご報告】

 まずは、小林誉明先生による「援助政策とは何か?」という問いをめぐるご報告です。小林先生のご発表は、「援助政策は一体なのか」という基本の問いに立ち返って始まりました。これまで国際開発協力の分野で「国際援助政策」(下村恭民)、「国際援助行政」(城山英明)、「国際開発政策」(石川滋)という3つの慣用的な言い方があります。そこから、なぜ石川滋先生は「援助」政策ではなく、国際「開発」政策と呼ぶのかと問いかけられ、さらには「開発」と「援助」の違和感はどこから来るのかという問題提起も示されました。

 石川滋先生自身は、開発政策は途上国が主体となるものであり、援助政策は先進国が主体となるものだから、援助政策ではなくて開発政策と使うべきだと主張しました。途上国の開発は、途上国政府自身が主体として行うことだと考えられるからです。それに対して、小林先生は「政策」という言葉の定義から「開発」と「援助」の違和感を分析するアプローチを提示しました。

 「政策」という言葉はその違和感を分析する上では重要なヒントだとして考えられます。政策とは「ある問題を解決するために決定された行動の指針」です(新藤宗幸(2004)『概説日本の公共政策』、東京大学出版会)。下村先生は『国際援助政策』(2001)という本の中で、「政策体系」というのは何らかの目的・目標・問題に向けて何らかの行動・決定・対処に関する支配原理・指針・基本理念・方針・手段の体系だと指摘されました。

 途上国は自国の開発目標(または開発計画や開発戦略)とその開発目標を実現するための政策体系を持っています。そして、ドナー側も自国の援助ビジョンや計画とそれを達成するための政策体系を持っています。小林先生は、この2つの別項の政策体系は、実際には重複しているような部分があるだろうと考えられます。この構図からわかるのは、援助政策は独立的なものではないということです(そもそも援助は何らかの支援の対象があるから、初めて成立するアジェンダです)。途上国側は、まず開発計画や開発政策があって、それをベースとして外部からの介入は通常「援助」と呼ばれるはずです。

 抽象度の高い国家ビジョンや国家戦略などでは、途上国側とドナー側は異なるかもしれませんが、政策レベルでは、例えば、インフラ整備の開発政策や開発プログラムといったミクロレベルでは、両側は共通な目標を持っている可能性は高いです。ドナー側の援助は、途上国の特定のプロジェクトを対象として行われます。途上国側にもともとある開発プロジェクトは外から融資を受ける必要がある時、それで援助プロジェクトが策定されるようになるというロジックだとして考えられます。言い換えると、途上国の開発プロジェクトに応じて、ドナー側の援助プロジェクトが存在するわけです。

 実際に、途上国側の開発戦略に関する全体の政策体系(目標、計画、政策、プログラム、プロジェクト)と日本を事例とするドナー側の国際開発協力に関する政策の重層的な構造を照らし合わせてみると、日本の援助に関する計画や政策は途上国の開発政策に応じて策定されるものがほとんどなことだとわかりました。

 政策体系の意味に戻って考えると、政策体系とは、普遍性を持って、継続的に存在するものだとして理解すれば、援助に関してはどこの部分がそこに該当するのだろうかと小林先生よりの重要な指摘がありました。援助政策は実には存在しないものなのではないかと考えられます。

 小林先生のご発表は、研究会に参加する方々からの活発な議論を喚起させました。例えば、「(平和、人権の確保というような)開発を目的ではない援助」、「より広い視野で「援助」政策を考える必要がある」、「途上国は開発政策があるのか?あったとしても、実施することはできるのか?」「途上国より、ドナーが開発政策を作るケースが多かった」などのご見解が提示されました。


【近江加奈子さんのご報告】

 次に、近江さんは「内発的発展」という開発概念をめぐって発表しました。修士論文の執筆がきっかけで、「内発的発展」という概念に興味を持つようになったということでした。内発的発展(endogenous development)とは、発展がその主体の内側から生じることを意味する、日本の開発論で頻繁に登場する概念です。日本の社会学者、鶴見和子はこの概念を内発的発展論(Naihatsuteki-hatten-ron)という独自の理論に向かわせました。

 近江さんは、なぜ「内発的発展論」という開発理論は日本ではよく研究されているのに、欧米ではあまり知られていないのかという問題意識から出発して、この開発概念をめぐる日本と欧米のそれぞれの議論、その共通点と違い、およびその違いから明確してきた鶴見和子の内発的発展論の特徴などを検討してきました。

 近江さんのご発表では、まずは、欧米の内発的発展概念と鶴見和子の主張を代表とする日本の内発的発展論をめぐる議論はどのように展開してきたのか、その経緯を振り返りました。欧米では、最初に、米国の社会学者パーソンズは、社会変化を分析する概念として内発型(endogenous change)と外発型(exogenous change)という類型を打ち出しました。英国、米国、西欧諸国といった内発的発展型社会と非西欧といった外発的発展型社会をあげました。この分類の仕方は、当時西欧で一般的となっていた近代化論の思想の影響を受けていると言われています。1950-60年代の西欧各国による開発援助も、近代化論の思想に基づいて行われました。その結果、西欧の近代化の経験をそのまま開発途上国に移植するアプローチが主流となりました。こういった国際開発協力の現状に際しては、グ・ハマーショルド財団は1975年に『なにをなすべきか(What Now)』という報告書を提出し、内発的で自力更生に基づく発展を「もう一つの発展」と冠し、従来の開発アプローチに対してオルターナティブな開発方策を模索する必要を訴えました。

 その後、1995年には内発的発展を中心課題に据えた COMPAS ネットワークという共同プラットフォームがつくられた。また、最も直近の議論として、欧州の農村研究の分野でネオ内発的発展論が提唱されている。過疎化が進行する欧州の農村地域の再生戦略の確立に向けて、EUのLEADERプログラム(農村経済の再生と自立を目指したEU域内の連携地域活性化プログラム)を事例に、内発的発展の有効性が長年研究されてきました。

 一方で、日本では、かつて夏目漱石は、「西洋の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である」という指摘がありました。ずいぶん前に「内発」と「外発」の発展の概念が存在していたことがわかりました。明治維新以降、西洋の工業化からの影響を受けており、急速な中央集権化と産業化によって日本の土着の社会制度や文化、慣習の多くが失ってしまうという時代の背景がありました。それに際しては、夏目漱石、柳田国男などの学者は、日本独自のものもあるのではないかと考えられます。夏目や柳田のように、西欧から学びながらも、日本型の開発のあり方に光を当てようとする営みは、その後の日本の知識人の間で一定の支持を集めました。鶴見はその一人でした。鶴見は、日本を初め、他の国や地域にはそれぞれの発展の道筋や社会変動のプロセスがあるのではないかと考えるようになりました。

 欧米と日本での内発的発展論の系譜について紹介して頂いてから、近江さんは、日本と西欧でそれぞれの主張の共通項と相違点をめぐって検討しました。鶴見の内発的発展論と西欧の内発的発展論の共通項については、1)内発的発展という概念の定義、2)西欧的近代化を開発の唯一のゴールとした開発政策への批判、問題意識だと指摘されました。相違点については、この2つの理論の射程が異なり、グ・ハマーショルド財団の内発的発展論は、西洋と非西洋という開発の道筋の二元論であり、開発事業の枠組みの中の手法だとして理解されますが、鶴見の内発的発展論は、各国の多様な開発の道筋を尊重し、社会の変化のプロセスを研究するための社会変動論として理解されるべきだと考えられます。

 こういった日本と欧米世界でそれぞれの主張の共通項と相違点を明らかにした後、近江さんは、鶴見和子の内発的発展論の特徴も分析しました。その特徴は、以下の4点として整理できます。1)(価値前提)価値多元論と規範性の両立、2)(認識論)常民の生活変化と社会変化の関係性、3)(思想)人間は自然の一部という思想、4)(分析視角)内発性を創造性とする分析視角です。

 最後に、鶴見の内発的発展論という理論が、現代の国際社会、国際開発協力に対してどのような意義を持ち得るのか、その内発的発展論の有効性について、近江さんは現在の研究の到達点を述べました。


【松原直輝さんのご報告】

 松原直輝さんのご報告の中で、「開発概念としての現場主義」というテーマをめぐって説明されました。なぜ組織においては現場重視、現場主義などがよく強調されるのかという問題意識から出発して、「現場主義」という概念自体をいくつかの異なる文脈を視野としながら検討してきました。「Genba」と訳される「現場」は、日本ではよく聞かれる有名な言葉です。しかしながら、実は、日本語でいう「現場」は多義的で、翻訳しづらい言葉です。日本語の「現場」は、多くの英語文献で説明されていない意味で用いられることもあります。

現場主義の概念に関する先行研究は、現場主義が何を意味するのかを厳密に論じられることなく、個々の事例から現場主義の意味を感じとらせる研究がほとんどでした。こういった研究の空白に際して、松原さんは「どのようなきっかけで現場主義という概念が用いられるようになったか」という問いも持つようになっています。この問いから、現場主義という概念に共通する特徴を導き出すことを目指したいと考えています。

 松原さんは、現場主義という概念を以下の3つの文脈より明らかにすることを目指します。すなわち、1)民間企業の経営理念、2)政府開発援助(ODA)、特に技術協力の実施の仕方、3)中央省庁に対する JICA の主体性の追求、ということです。この3つの文脈における現場主義の特徴に対する検討より、松原さん以下のことを明らかにしました。つまり、1)と2)で論じた現場主義は、日本企業、日本技術者、日本の専門家が、諸外国のそれに比べて現場に近く、それゆえ、日本型経営や技術移転が効果的で効率的であるという優位性や独自性を示すためだと指摘されました。そして、3)では、JICAのプロパー職員や外務省が、現地事務所や大使館といった現地機関をもち、効果的・効率的な援助を行えることを根拠に、現場主義という表現を用いて、自らの主導権を他の中央省庁に対して主張していったと考察しています。

 結論としては、1)、2)、3)のそれぞれ現場主義が用いられた文脈は異なるものの、そこには、特に、現場主義と対置された側に共通点がありました。いわゆる、欧米の技術者や経営者、欧米ドナー、日本の中央省庁などの対置される側は、机上の学問、理念や理想、集権的な統治のための効率性といった机上の「理屈」を重視しているものとして特徴づけられていました。

 それから、欧米先進国の今までの開発の経験から抽出する「モデル」や中央政府の権益という既存の権威に依ることで「合理性」を獲得しました。このような机上の理屈は、現場の文脈を無視してしまいました。他方で、現場主義の「理屈」は、生産技術や開発援助のように、現場との強い結びつきが強いと思われる分野において、目で見る、足を運ぶ、近くに行ってみないとわからないという人々の「直感」に訴えかけるということです。


(文責:石暁宇)


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